その他日の里 寄り道 散歩道 ⑤ 許斐山のこと その2
- 更新日:2019年10月30日
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広報日の里2019年11月号から転載
許斐山のこと その2
かつて南郷小学校6年生の出前講座に出かけたことがあります。許斐山をテーマに選んだグループに質問。「許斐山の高さ約271mはどこからの高さでしょうか?」「王丸の登山口から」「宗像の海から」の声が上がりました(元気な6年生も今は成人です)。
簡単にいえば、国会議事堂近くの日本水準原点24・4140mを基準として、山頂などに設置された三角点までの高さを測量しています。水準原点は、東京湾の平均海面からの高さ。近年は人工衛星を利用したGPS測量も行われています。近くの「いせきんぐ」の事務所の東の角、県道に面して水準点があります。
ところで、王丸の登山口から許斐山の頂上までの距離は登山口の木杭に「頂上まで八四〇米」とありました。
許斐山の信仰
健康のため毎日のように登るという人はいますがお参りのためにというのは耳にしません。昔は許斐権現への参拝は宗像郡近隣からも多くあったようです。
江戸時代の地誌『筑前国続風土記』(貝原益軒、1703年成立)の宗像郡許斐山神社の記事。
王丸の上を許斐山と云う。山上に許斐権現の社あり。九月十九日祭あり。文徳天皇の天安元年(857)、熊野権現を勧請すと、宗像縁起に見えたり。宗像大宮司有し時は、此社にも田島の神輿(みこし)渡御有りて、祭儀あり。〈略〉田島の社の神事ある時は、今も許斐の社人鐘崎の社人来て、神楽(かぐら)をつとむ。両所ともに古来宗像の社の神楽の役人なり。許斐には今社人十人あり。
和歌山県南部の熊野三社の神を祭っています。宗像社から神輿が来たり、神楽に出かけたり盛んな様子がうかがえます。
最後に意外な話を。中・近世に成る彦山(英彦山)のいわれを記す『彦山流記』『彦山縁起』には、彦山に鎮座していた大己貴神と宗像三女神は宗像許斐山に移ったと出てきます。許斐権現の社がそうだといいます。
〈船〉