その他われらの仲間・おもちゃ病院
- 更新日:2019年02月27日
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広報日の里2019年3月号から転載
1月の第4土曜の26日は折悪しく氷雨が降り募った。日の里東小のおもちゃ病院の定例日だが定刻の1時を1時間過ぎても患者は現れない。雪まじりの冷たい雨を見やりながら、3人のおもちゃドクターも「これじゃ」とつぶやいていたら、母子連れが現れた。故障した新幹線を受け取ったドクターが、早速分解を始める。もう一人はクレーンを手に取った。やがて修理終了、うんともすんとも言わなくなっていた電車も起重機もみごとに生き返った。少女もお母さんも大喜び、大切に抱えて帰っていった。3人のドクターも期待に報いることができて、安堵の様子だ。
ドクターは3人いる。院長格の永島敬さん88歳、下條良信さん74歳、山元博美さん68歳。いずれも大手企業の技術部門で半生を送ってきた経歴の持ち主だから、腕前は申し分ない。院長はもう十数年も携わってきた。「かつて日本は玩具輸出国だったが、今その座は中国に取って代わられました。電気仕掛けで動くおもちゃを分解すると、9割はメイドインチャイナ。部品がないから困るんですよ」。時代の変遷がここにも現れる。
時代と言えば昔はブリキづくりが多かったが、今はプラスチック系が最多である。これは接着剤ではひっつかない。着いたように見えてもすぐはずれる。どうするか。溶着させる。プラだから加熱すると溶ける。ハンダこてを使って壊れた箇所を少し溶かして繕ってやると、ちゃんとひっつく。修理が終わり動き始めたおもちゃとドクターの顔を見比べる子どもたちは、尊敬の眼差しを浮かべていることだろう。
「おばあさんからお母さん、それから今の子と3代がなじんできた動くおもちゃがあります。これは三代の思いがこもっているのだと思うとやりがいがあるから、力が入ります」と下條さんは家族の歴史に思いをはせながら取り組む気持ちを語る。昨今はいったん壊れた物、破れた物を補修して使う習慣がすたれてきた。物資不足の時代を経験しているドクターたちは、その傾向を憂いつつ、いそいそと修理に励んでいる。
毎月第2、第4土曜の午後1時から3時まで修理中おもちゃドクター