その他「日の里半世紀」
- 更新日:2018年09月28日
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広報日の里2018年10月号から転載
今年2月、西日本新聞が日の里半世紀と題して7回にわたり特集記事を連載した。その最終回に掲載していたのが、この写真である。連載記事を書いた今井知可子宗像支局長が、「これこれ、これを使いましょう」と飛びついた写真は、何気なくお見せしたものだったが、今井さんが食指を動かしたのは、現在ではもう見られないヨイトマケによる基礎固めの工事現場が写っていたからである。
今はコンプレッサーでダダッと打ち込んでいって固めるから、基礎工事もたちまち終わってしまうが、昔は写真で見えるように現場主任格のおっちゃんが櫓からおろした丸太の先の大石をむらなく移動させて溝に敷いたバラスの上に置くと、数人のおばさんたちがエンヤコラと声を合わせてロープを引っ張り、丸太を精いっぱい引き上げ、一斉に手放す。どすんと落下する大石が基礎用のバラスを固める。
今からすると、なんとも原始的な工法だが、当時の住宅工事ではごく一般的に行われていた。「父ちゃんのためなら、エンヤコラ」というはやし言葉をご記憶の向きもおられるだろうが、この現場をもじったものである。もう今では見たくても見られない情景である。
昭和30年代に宗像町田熊地区の原野の開発を計画した住宅公団は、41年に造成を開始し、44年に宅地の販売を開始した。しかし、折からの不況もあり、需要があまりなくて当初の百数十区画さえも売れ行きは芳しくなかった。翌年からどこでもいつでも方式に変更してから、急速に売れていった。石油ショックによる停滞もしのいだ日の里も、住民の高齢化で空家が増えて衰退期にあるが、再び脚光を浴びる時を期待しよう。