その他日の里夜話②
- 更新日:2021年04月25日
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広報日の里2021年5月号から転載
日の里団地が門出して2年後の昭和48年11月15日朝7時すぎ、5丁目の公団住宅で爆発が起きた。ジェット機墜落かと思わせる轟音と黒煙が空を覆った。
夕刊番で早出の準備をしていた私は、カメラを手にして1丁目の自宅を飛び出した。出火元は煙が教えてくれた。5丁目の一棟だ。
2階の2戸から黒煙がすさまじい勢いで噴き出している。消防団員が放水しているけれど、焼け石に水の状態だった。
1時間後、鎮火したとき、火元の隣の祖母と幼女が焼死、火元の住民を含めて15人(消防署公式記録では9人)の負傷者が出た。階段を挟んだ1階から5階までの10世帯が被害を受けた。
警察の取り調べで、火元の男性がガス自殺を図ったものと分かった。当時、東京では都市ガスによる自殺が多かった。皇女の嫁ぎ先の旧華族神官を、なじみのバーマダムがガス心中の道連れにした衝撃的な事件も起きた。
都市部では石炭乾留ガスを管で送っていた。東京も福岡市も北九州市も同様だった。その後、石油系ガスに切り替わる前は、ガスは有毒が常識だった。火元の男性もそうと思い込んでいたから、ガスを放出したのだ。これはプロパンだから毒はない。知っているつもりで知らなかったせいで無残な結果を招いてしまった。
この事件は、宗像郡町村の当局者を震撼させた。宗像町議会は直ちに常設消防の必要で一致した。他町村も同じ気運が高まり、数回の町村会議で協議の結果、宗像郡消防組合の設立が決まった。
翌年の昭和49年4月1日に消防組合が発足した。消防本部設置、消防長任命、消防本署・福間分署・大島分遣所設置と素早く整えた。この間、肝心の消防士要員も、第一陣の40人をはじめ次々に採用し、県立消防学校で教育を受けさせた。
今では陣容の充実ぶりは住民の皆さんも実感しておられるだろう。出火しても素早い出動で延焼を防いでくれる。けったいな自殺未遂の恩恵?というべきか。(い)