その他日の里夜話①
- 更新日:2021年03月29日
-
広報日の里2021年4月号から転載
日の里も今年5月で門出から50年を迎える。住宅公団の目論見では、宅地分譲1500戸分、公団アパート2200戸だった。半世紀を経てみると、おおむね胸算用のとおりになった。学校も中学校1校、小学校2校は計画どおりである。
人口は約2万人を見込んでいたのが、現在は1万1千人台で低迷している。目論見の半分というのは寂しいが、半世紀の間に子の世代が独立して出ていき、老いた親だけが残っている実態を見れば、やむを得ない。地元に受け皿がないのだから、当然と言えば当然だろう。
私は昭和46年8月12日、お盆入りの前日に1丁目の新居に移ってきた。まさに半世紀前である。前年の夏ごろだったか、新聞に日の里新開地の売れ行きが甚だ低調だから、公団が地域の縛りを撤回した。団地全域で気に入った土地を買えるようになったという趣旨の記事だった。
それまでは公団が、この地域というように地域限定で売り出していた。公団の都合というか、目論見というか、売れ残りを防ぐ見地から、魅力が乏しい土地を先に店頭に出したのが逆効果になった。現地を見た人々の食指が動かなくなり、売れ残り続出の羽目になったのだ。
これは買い時じゃないか。そう直感した私は、家内ともども、まずは現地視察にやってきた。私が食指を動かしたのは、自分の仕事の都合を鑑みると、小倉と博多の中間というのが地の利を得ていたからである。
小倉の毎日新聞西部本社報道部でデスク役を務めていたが、福岡総局に再び転勤する可能性も大である。社命で行ったり来たりが避けられないならば、中間に住んでいれば会社も転勤費用を節約できるし、自分自身も引っ越しを反復しないで済む。ま、こんな打算で住んだ所がわが終焉の地になるのも定めであろうか。(い)