その他日の里 寄り道 散歩道 ⑥ 東郷駅ホームの少女たち
- 更新日:2019年11月29日
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広報日の里2019年12月号から転載
写真は昭和10年頃の東郷駅ホームで汽車を待つ宗像高等女学校の生徒7人です。外套を着ているので冬でしょうか。しっかりと写真機を見ています。今ならカメラ目線というのでしょう。拡大してみると同じようなお下げ髪の髪型で皆凜々しい健康的な顔をしています。当時の高等女学校は、尋常小学校修了の12歳からの入学で本課4年でした。現在の中高生の年頃です。
ホームの看板には、右から左へ「とうがう」と駅名が書かれています。隣駅は「あかま」と「ふくま」となっています。
東郷駅は赤間駅の明治23年(1890)に遅れること23年、大正2年(1913)に開業しました。
東郷駅の誘致と反対
赤間駅・福間駅の開業後東郷は取り残されてしまいました。
『宗像むかしの生活研究』第二巻(宗像生活史聞き書き研究会 1987年)に、滝口雪雄さんの「九州鉄道(現鹿児島本線)が出来た頃」の文章があります。
東郷駅に関する部分を引きます。
「東郷駅余話」明治二十三年九月二十八日福間・赤間両駅が営業開始したのに東郷は寒村のせいか取り残されて素通りされてしまった。その後、明治も終わり近くなって初めて地域の産業、経済の発展に及ぼす駅の重要性を知り、誘致運動を起こしたのであるが、地元農民からの強い反対がくりかえされて争われた。このために国鉄当局をいたく刺激し、国鉄はやむなく小さな集落の田熊村に目をつけ、大正二年四月漸く駅を開設したのである。つまらぬごたごたから町の中心部から遠く離れた西の外れの現在地にこうして駅が誕生したのだとつたえられている。
写真にもどると少女達の背景には、のちに日の里団地となる深い藪が広がっています。駅反対運動があったから半世紀後に日の里が誕生したともいえます。
〈船〉