その他漢字と仮名の使い方1 前口上
- 更新日:2018年11月30日
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広報日の里2018年12月号から転載
文章を書くときに最も気を使うのは、使える漢字と使えない漢字の区別です。何万とある漢字を、なんの制約もなしに自由に使ってよろしいとなれば、学習のエネルギーの大半を難しい読み書きに奪われて創造的な勉強の時間が減る弊害が黙過できない。その反省から戦後早々の昭和21年に政府は漢字制限を実施しました。これが当用漢字です。1850字でした。
その後の使用傾向を勘案して56年に改定され、常用漢字1945字となりました。さらに平成22年にも追加があって2136字まで増えましたが、骨格は変わりません。漢字本体の制限に呼応し、送り仮名の様相も変わりました。戦前教育の世代は、戸惑いを隠せません。
いったん制限した漢字がなぜ復活するのか。年齢の高い人ほど、なにかもてあそばれているような反感を持つのではないでしょうか。かく言う私もその一人です。しかし、考えてみれば言葉というものは常に世の動きにつれて変わっていくものです。卑近な例を一つあげると、「犯人は現場に土地カンがあるものと警察は見ている」という調子の記事を読まれることがあるでしょう。私ども古いサツ記者はカンを鑑と書いてきました。このごろは土地勘に切り替わっています。思うに若い記者が誤記したのを若いデスクも間違いと思わずパスしてそれが新聞にも及んで広がり、市民権も獲得したのでしょう。一犬虚に吠えて、であります。
それやこれやで当新聞に寄稿してくださる方々もそう感じておられるであろうことは、原稿を拝見していて読み取れます。新聞記者だって同じです。各社が社員用に用語集を作成して配布し、記事執筆の際には順守させています。記者生活30年、その後も同じ年数書く仕事を続けてきた私も執筆中は用語集を手放せません。あ、今こう書きましたが、手離すではなかったかと疑念がわき用語集を開いてみたら、手放すは正解で、子どもに親の手がかからなくなる手離れが離でした。
2千字程度に制限した今でもややこしいのですから、制限のなかった時代の漢字の習得はさぞ難儀だったでしょう。学問といえば読み書きが中心だった江戸時代の知識階級も苦労したらしく、幕臣前島密は慶応2年、「漢字御廃止之儀」建白書を将軍慶喜に差し出しています。明治4年、駅逓頭という郵政相に相当する地位に就くと郵便制度を創始し、郵便、切手など今に続く名称の生みの親となり、漢字改革に生涯取り組みました。
前島を始め難しい漢字の節減を求める声の高まりにつれて大正12年と昭和17年に文部省の主導で常用漢字表や標準漢字表が公表されました。こういう底流があればこそ、戦後の漢字制限の取り組みがすばやかったのです。日本人が日本語を話し読み書きする限り、漢字が消え去ることはないでしょう。だとすれば用語も正しく使えるよう、常に心がけたいものです。編集部もその心得で取り組んでまいります。
本紙で扱う用字用語は市販のマニュアルに準拠しており、頂戴した原稿の添削もそれに従ってしております。訂正漏れや編集ミスに気付かれたときは、ご叱正をお寄せ下さるようお願いいたします。
前口上が長くなりました。次回から各論に入ります。初回は漢字と仮名の使い方についてです。